2026年6月定例会のご報告
皆さん、こんにちは。
川崎つながろ会の杉田どぇす。
まずご報告です。3月に開催した講演会「家族が語るALS介護」ですが、YouTubeチャンネルに動画をアップしたところなんと、これまでに200回以上再生されていました。
患者本人がつらいということは想像できるけど、家族の苦しみや悩みというのはイメージされにくいのかもしれませんし、そもそもソースが患者のものに比べ圧倒的に少ない。そういうことがこの再生数に表れているのかもしれません。
今後も当事者・当事者家族のみならず、支援者の皆さんにも参考になるような講演会を目指して勉強します。
さて、もう皆さんご存じのことと思いますが、当会会長の髙野元が
日本ALS協会の会長に選出されました。髙野さん、おめでとうございます!
日本のALSの最先端患者として、任期の2年間はまさに最先端に立ち、患者とその家族のために力を尽くされることでしょう。
でもたまには息抜きも必要なのでつながろ会であそびましょー(息を抜いてばかりのワテ)。
というわけでやって来ました羽田空港第3ターミナル・ソラムナード羽田緑地。
こちらはターミナル内の「羽田エアポートガーデン」入口にあるLEDパネル前。観光気分でハイ、キムチ~。

会長就任記念、飛べ!髙野さん!!

雲がいいね。

この日は風が冷たくて最後は震えましたが、気持ちのいい離陸スポットでした。

では定例会のご報告でーす。
今回は武蔵新城にあるカフェ「千年共店(ちとせきょうてん)」さんで開催しました。
ありがとうございました!
1.参加者
当事者:3名、当事者家族:1名、看護師:2名、作業療法士:1名、介護職:1名、看護学生:7名、支援者:2名
2.自己紹介と近況報告
支援者Oさん:今日の帰りは千年共店近くの温泉に寄って帰る。
作業療法士Wさん:初めてALSの利用者を担当する事になった。9月に武蔵新城に越してくる。
看護師Tさん:千年共店の前の通りをよく通過していた。
看護師Kさん:DJ始めました。10/4にイベントがあるので来てネ。
当事者Nさん:実家での誕生日会に多くの人が集まった。
杉田良子さん:今日は世界ALSデー。杉田省吾動画をYouTubeにupしたから見ること。
看護学生Hさん:池袋から学校に通う際電車で渡る多摩川の風景に癒される。
看護学生Iさん:冷麺が好きで色々食べている。
看護学生Tさん:バイトしているうなぎ屋で、うなぎではない品がメニューに追加される様だ。来月定例会@ミューザの前にお越しください。
介護職Kさん:プロの音楽家を目指し活動している。あと一年で売れてみせる。
当事者Kさん:夜間ヘルパーの体制が整い呼吸器が使える様になった。
看護学生Tさん:2年になって初めてのテストがあり大変だった。
看護学生Mさん:月一回京都に行っている。宇治川沿いの小さな神社がとても良かった。
看護学生Hさん:サッカーのワールドカップに興味を持った。上田 綺世選手にはまった。
看護学生Kさん:あじさいの里に行った。
支援者Kさん:家のキッチンのお湯がでなくなる故障が起こり、不本意ながら業者に依頼した。
3.お悩み相談
Q.夜間の唾液対策ってどうやってますか?
A.
・ヘルパーが24時間体制でつき、気管カニューレからはアモレを使用。口腔は口に咥えた管から金魚ポンプを使った吸引機で吸う。
・痰は時間がかかっても完全に取ってもらいたい。
・普通は就寝中唾液は少なくなる。スコポラミンという唾液分泌を抑制する薬もある。
Q.相談員とは
A.
・最初からついていた。川崎市でも全ての人に付く訳ではない。髙野さんはケアマネがその役割を担っているが、ケアマネは介護保険の世話をする人なので通常障害については知識がない。
この日の相談タイムは熱心に質問される医療職や看護学生らが、それぞれ聞きたいことを聞きたい人に聞いていたので、最後は各所で相談が始まりました。口文字の様子を動画で撮ったり文字盤をやってみたり。
そういった質問の中、「延命しないと決めていたのに気切をしようと決断したきっかけは何だったのか」ということを聞かれました。
その答えを、改めて振り返り記しておきます。
まず最初の大きなきっかけは「視線入力装置の導入がうまくいった」ということです。
私は「目の動きでPCを操作する」ということに全く期待していませんでした。
手を使ってサクサク使っていたように使えるはずがない、同じように使えなければやってられない。そんなふうに考えながらも、手がダメになって導入せざるを得ない状況となり、伊藤先生のHPに書いてある通りに導入してみた。
設定に手間取ったが、何とか使えるようにした。するとイメージしていたよりもかなり操作性が良かった。
視線の動きをキャッチする装置の精度は高く、PCでできることは何でもできた。
「これならいろいろできるかもしれないぞ」そう感じたのが始まりでした。思えば、未来に可能性を感じたのは診断後はじめてでした。
そしてICT救助隊のイベントに参加し岡部さん他、強力な支援者とつながったのです。
ALSは最悪です。最悪の状況に追いやられます。そんな中でも未来の姿をイメージできるかが生死を分けるかもしれません。
未来が見えればどんな自分も受け入れることができる。
下半身丸出しでリフトにつられる自分だってね。
4.今後の予定
(1)7月定例会・7月19日(日)13時30分~16時@ミューザ川崎
(2)バスハイク・11月1日(日)で予約取りました。車いす6台積載バスかどうかは未確定。
以上、定例会のご報告でした。
ユージの部屋
WBC準々決勝ベネズエラ戦敗退に打ちひしがれて立ち直れず、4月のユージの部屋はお休みさせて頂いた。6月はサッカーワールドカップ真っ最中ではあるが、あえて今回はスポーツから離れて“音楽”ネタをお届けする。というのも、杉田さんの“ストラトキャスター”というエレキギターへの想いを綴ったコラムに“シビ”れて、ギターにまつわる想い出が色々湧いてきたのだ。
- “フォーク“って何?
テレビで流れる歌謡曲しか知らなかった私は、中学生になってラジオを聞くようになり、それ以外の音楽も耳にするようになっていく。覚えているのは、クィーンのキラークィーンとカーペンターズやジョン・デンバーがよく流れていたこと。クィーンよりカーペンターズやジョン・デンバーの方が好きかなあ程度で、レコードを買ってとまではならなかった。
そんな頃、井上陽水のアルバムを貸してくれた友達がいた。どんな流れでかは全く覚えていない。「なんじゃこりゃ?」というのが第一印象だった気がするふふ。暗くて重い。自殺する若者が増えることよりも、今“傘がない”ことの方が切実な問題だと繰り返す。年老いた両親の姿に悲哀や疑問?を感じ、心の中で”人生が二度あれば”と問いかける。こんなことが歌になるんだ、、、フォークソングというものらしい。好きにはなれなかったが、いくつかのフレーズが忘れられなくなった。自分で作詞作曲し、テレビでは歌わない、というのが”フォーク”というものらしい(?)
- 初めてのギター
そのうち”フォーク”にも色々あることが分かってきた。かぐや姫と出会い、一気に傾倒した。かぐや姫の”22歳の別れ”や”なごり雪”をギターで弾き語りしたくなった。中学2年の時、初めてフォークギターを手に入れることができた。予算一万五千円でとお願いし、町の楽器店で紹介されたのが、ヤマハと、聞いたことがないカンサスというギターだった。店員さんにはヤマハの方を勧められたような気がする。でも私は、明らかにマーチンの最高級機種D-45をコピーしたカンサスのビジュにやられてしまった。
その日から毎日教則本を頼りにギターを触っていた。ギターのいい所は、10程度の簡単なコード(出したい和音を鳴らすために、左手の指でどの弦をどの位置で押えればいいのかのきまりごと)さえ覚えれば、最低限のことができること。譜面が読めなくても、コードさえわかれば、弾き語りらしきものができてしまう。おかげで、飽きもせず、親には「うるさい!」としかられながら、ギターで歌っていた。
- 中三の小さな奇跡二つ
一つ目は、修学旅行で京都に向かうため、新幹線を東京駅のホームで待っている時のこと。”ショーやん”こと伊勢正三に遭遇した。元かぐや姫、解散後は”風”として活動していた、”22歳の別れ”や”なごり雪”を作詞作曲した人である。いわば憧れの人に出会い、サインまでしてもらった。余談になるが、その憧れの人は、今は車で10分のご近所さんらしい。
東京駅の“ショーやん”

秋の文化祭では、何故か女子二名を含めて六人でグループを組んで何曲か歌った。ラストに陽水の”紙飛行機”を歌いながら、ステージの上から紙飛行機を飛ばしまくった。観客がどれくらいいたのか、盛り上がったかは全く記憶がない。ただ、音楽室のグランドピアノを文化祭で使いたいので、貸してもらいたいとダメもとで音楽の先生に頼んでみたら、自分たちで運べるならと、奇跡的にOKしてもらって、必死で運んだことは忘れられない。
- コンサートの楽しみ
高校時代は、時々コンサートに行った。地方都市なので大きなコンサートの会場は一つしかなく、そこまで自宅から自転車で5分と地の利があった。当時はチケット発売開始日なら学校帰りに、町のレコード屋さんでそこそこいい席が手に入った。うろ覚えだが、値段は三千円台で買えたきがする。風、長渕剛、松山千春、永井龍雲といったシンガーのコンサートに行った。コンサートのいい所は、生声の歌はもちろんギターの生音が聞けること。ギターの上手い下手が良くわかるのだ。びっくりするほどうまかったのが、長渕剛。本人もそれが良く分かっていて、テクニック満載のギターのソロをしばらく聞かせた後で、歌い始めると思いきや、ピタッと手を止め、「うめーだろー」とニヤッとしてから歌を始めるなんて芸当も見せてくれた。逆のひともいて、当時発売直後で話題のオベーションのアダマスという高級ギターを構えたので、どんないい音がするのかワクワクしていると、簡単なストロークなのにぼそぼそとした音しか聞こえないので、がっかりしたこともある。歌が良くてもギターまで上手いとは限らない、、、
- その名は”マカロニほうれん荘”
高3の秋、学園祭で友達と二人で作ったフォークデュオの名前を、はまっていたギャグ漫画の題名からとった。その友達は吹奏楽部所属で歌もギターも上手かった。ハモルとかギターの難しいところは、彼にお願いした。中庭に卓球台を並べて作ったステージの上で、出番は3~40分、拓郎の“落陽”、かぐや姫の“22歳の別れ”、“神田川”、陽水の“能古島の片思い”などを歌った。残念ながら、観客の反応は記憶にない。

余談になるが、当時“能古島”は“のうこじま”と読むと勝手に思い込んでいた。大学に入って福岡出身の同期から、「のこのしま」と読むとたしらめられた。実在する島なので失礼な話なのだが、歌の内容、イメージには“のうこじま”の方がしっくりくると、今も少しだけ思っている。
- 二台目めも決め手は“ビジュ”
長女が高校生になるとギターで弾き語りをしたいので、教えてくれという。最初少しだけ手ほどきしたが、直ぐにコードストロークはマスターし、友達と一緒に練習するので貸してくれというようになった。こんなに古い安物でいいならと、好きに使わせた。ギターにとってもケースの中でほっておかれるより、弾いてもらう方がいいはず。もう一台買って、娘と一緒に弾くのもいいかと、ふと思った。自分の腕を棚に上げて、少し高いギターならもっといい音がするのでは、という気持ちもあった。今度こそヤマハにしようと出かけた楽器店で、ピックガードとフレットマークが個性的なビジュにやられて新興ブランドのギターを選んだ。

新しいギターはいい音で鳴って嬉しかったが、中高生の時の様な、没頭するまでとはいかなかった。そのうちにALSを発症してしまった。
- ほぼ50年連れ添った“カンサス”との別れ
大学時代は親に「下宿の大家さんに迷惑をおかけする」と止められ、上海勤務時は自重して、帯同しなかったが、それ以外の転居の際はいつも一緒に動いた。常に弾きまくっていたわけではないが、何となく手ばせなかった。出会いからほぼ50年、今のマンションに引っ越す際に、“終活”の一環と思い処分した。因みに二台目は、長女のお婿さんに“嫁入り”した。
今から思えば、写真に残せば良かったが、あとの祭り。もしかしてと、ググってみたら、なんと二つ見つけた。一つは中古ギターショップのYouTubeで、「この値段でこのつくりと音は、日本の職人の意地を感じる。」と絶賛されていて嬉しかった。音も聞けて腕の差を痛感した。
- 同い年
フォークとの出会いとなった、陽水の“人生が二度あれば”の中で、“父は今年二月で65”。
ユージもこの六月で65。子供の目にどう映っているのやら、、、
ではまた。

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