3月定例会のご報告(付録:江口寿史先生と探偵物語とローマの休日)
皆さんこんにちは!
川崎つながろ会の杉田どぇす。
3月、4月と言えば別れと出会い。
私も訪問スタッフの異動により一つ別れがありました。別れはさみしいもんですね。
これからの出会いにちょっとだけ期待しようと思います。
さてそれでは3月19日の川崎つながろ会定例会のご報告どぇす。
1.参加者
当事者:4名(ALS)、当事者家族:2名、介護職:4名、医療職:5名、看護学生:3名、事務局:3名
2.近況
看護学生:免許取った。
介護職:新しいALS利用者を支援することになった。
当事者家族:野球が始まって元気出てきた。胃ろう食事介助ヘルパーは入れない。重訪みつからない。
当事者:WBC楽しんでいる 帯状疱疹できた 21日かつての仕事に関してインタビューを受ける。
介護職:厄年。タイヤに釘が刺さった。車の窓を換気のため開けて止めたら隣の建設現場作業員に高圧洗浄機で水をかけられた。
杉田どぇす:3/15講演終わってホッとしてる。
杉田家族:講演の会場に前任ケアマネ田中さんが来ていた。青森に行った。雪が多かったが着陸できた。
介護職:子供生まれる予定3月に早まった。
事務局:町内会副組長になった。自分をプレゼンやる。
医療職:呼吸ケア講師終わった。六月パネルディスカッションがある。
医療職:午前中高野自宅に行き一緒に移動してきたのが幸せ。母と乗馬した。
介護職:娘の彼氏と食事した。
看護学生:新潟に帰って初スノボやって転びまくった。
髙野会長:確定申告、講演を行った。シン仮面ライダーは観る。
さくら会イベントが日曜(3/26)にある。川口さんが立ち上げた。外出支援ができる様になったのはさくら会の功績。
当事者:車いすを新しくしようと思っている。唾液が詰まる。ヘルパーが見つからない。
3.お悩み相談
Q.胃ろうは定期的に交換が必要だけれど、どのタイプが良いのだろう
・バンパー型とバルーン型がある。
・バンパー型は病院で交換する。交換インターバルは6か月。
・バルーン型は訪問診療の先生が交換できる。交換インターバルは2か月。
・バルーン型は簡単に抜ける心配があると言う意見があるが、抜ける様な力がかかった時には抜けて良いのではないか。
・バルーン型で抜けた時には穴が塞がらない様にして往診の先生に頼む。
・検査入院の際に交換する人はバンパー型を選ぶ事がある。
杉田どぇすの場合:最初バンパー型、その後バルーン型。訪問医が持ち運び型のカメラで中の状態を確認していたが最近は持ってきていない。
液漏れチェックはしている。バンパー交換は痛い。
髙野会長の場合:四年間病院で交換していたが面倒なので在宅にした。
Q.訪問介護は複数事業所に頼んだ方が良いのか
杉田家族:隙間なく来てもらうために結果的には複数事業所に頼まざるを得ない。土屋訪問介護の割合が多い。
介護保険のヘルパーに来てもらっていたが重度訪問介護免許を取ってもらった。介護保険のヘルパーは通常短い時間で移動する。
平日日勤二人で回していたが一人辞めてしまった。80件問い合わせて漸く一件ロンドが見つかった。
事務局(介護職):土屋訪問介護としては一社で引き受けるリスクを回避したいので二社以上推奨。
注:リハビリや療養生活に関することは必ず医師や看護師などの医療者や、
作業療法士、理学療法士、言語聴覚士などの専門職の方と相談しながら進めてください。
4.WheeLog!川崎
・4/9 10時から(概要)
・ブログにて報告いたします!
5.法人格の取得
先月の予告通りまずは「何をやりたいか」先月の続き
全体的に「お出かけしたい」が多数を占めている。
他に以下のようにものがあった。
一般の人に向け情報発信をしたい。普段の生活をSNSで色々発信する。
プラットフォーム、今はインスタでしょ。サークル活動も一緒に。
そして当事者のSさんがFacebookに投稿してくださったこちらもご紹介させて頂きます。
我々夫婦にとって、精神的な支えであることの次くらいにありがたいのが、先輩方の実際の体験談や実際に使っているものを教えて頂けることだと感謝しています。
例えば、車いす、福祉車両、エアマット等々。今日も胃瘻のタイプについてお聞きしたいと思っています。
我々にとっては初めての話題でも、つながろ会では二度目三度目ということも多いはずで、更には今後の新たな参加メンバーも聞きたいことになると思います。
議事録をはじめから読み直すという手も有益ですが、加えて一覧表の形式で蓄積、共有されたらいいのではないかと考えたのですが、いかがでしょうか?
イメージが湧かない、どんな一覧表?でしたら、次回エクセルでたたき台をお示しできればと思います。よろしくお願いいたします。
髙野会長からの提案(FB事前投稿)
杉田さんがブログに定例会やイベントについて楽しく記事化してくれています。これに加えて、地域資源の照会を記事化したい。
当初まとめた、サービス事業者リストの延長。記事化したいと思うことを思いつくままに上げると(もちろん皆さんで追加修正)…
・医療者インタビュー
地域で神経難病を支えることについての思いを聞く
(例)武知先生、小泉(善)さんからはじめて、つながろ会に利用者がいる医療者に広げていけると良い。
最近ご無沙汰ですが、斎藤先生やあい歯科さんとかも
・訪問サービス取材
地域にこんなサービスがありますよ、と紹介していく。
(例)アサヒサンクリーン(訪問入浴)や、土屋訪問介護などのヘルパー事業所、など在宅療養を支えてくれる事業者。
・川崎市の支援事業紹介
われわれこそ、市の支援事業を利用して、活用事例を発信して、周知と啓蒙に協力したい。
(例)リハビリセンターの活用事例、
災害時電源支援事業や、重訪の就労時利用支援事業など
※)市役所の関係部門とのパイプが増えていますが、その方向性は歓迎されています。
書くのは大変ですが、800~500字程度が目安。構成を予め決めておけば、機械的に書ける(??)
月に1-2本書けると良いかな。
今月は以上です。
次回開催は4/16どぇす。
その前に4/9「WheeLog!川崎」あります!
付録(という名の独り言)
1980年代。
私が中学、高校を過ごした時代。
そしてあの「バブル景気」と呼ばれた狂乱の好景気時代のはじまり。
1981年に中学生になった私は神戸市北区の山から下りてきた田舎者で、
その目から見た大阪の豊中市と言えばもう立派な都会。
同じ年齢なのにみんな大人びて見えてたのを覚えてる。
そんな頃、「松田優作」という役者のファンになっていた。
きっかけは1978年公開の「最も危険な遊戯」という映画。
もちろん観たのはテレビだ。多分深夜枠だったと思うが、偶然観たと思う。
とにかくヒットマン役の松田優作さんがめちゃくちゃカッコよくて、よく覚えてるのが大物暗殺のシーンで、
グローブをした手のひらで煙草を消して吸殻をシャツのポケットに入れるところ。
その直後にライフルを構えて一発で仕留めるという流れなんだけど、
その「煙草を手で消してそこにゴミを残さない」ってところに当時はプロのリアリティを感じて記憶に残ってる。
スポーツ観戦後に「ゴミを残さない」という日本人の行動が世界で称賛されていますが、それとは全く関係ないことは言うまでもありません。
それ以外のストーリー的な面白みはさておき、まぁとにかく、松田優作さんがかっこいいのですよ。
それ以来、松田優作さんの作品を特別な気持ちで観るようになった。
そんな中、1983年公開された「探偵物語」。松田優作さんと薬師丸ひろ子さん主演の
ミステリー要素を軸にラブコメ的要素もアリの作品。お二人の魅力が炸裂しております。
当時、松田優作さんは森田芳光監督のあの名作「家族ゲーム」にもほぼ同時期に出演しており、
演技の幅を広げるためにハードボイルドを封印して積極的に市井の人を演じている時期でした。
そう思って観てみると、迷いながら演じているように見えなくもない。
「探偵物語」、簡単に内容を説明すると、やんちゃな大学生の娘・直美が5日後の渡米に従うか心配した富豪の父親が、
監視役として私立探偵・辻山を雇う。その辻山の元妻がある事件に巻き込まれ濡れ衣を着せられてしまい、
辻山に助けを求めてきた。元妻をかくまったため辻山、そして直美もまた成り行きで事件に巻き込まれることに。
最後は事件は解決、その解決の過程を共にした辻山と直美は互いに心を寄せるも、最後はそれぞれの人生を歩んでゆく…てな感じ。
まぁ、やっぱ松田優作さんがめちゃくちゃかっこいいのは言うまでもありません。
いい感じによれた麻のスーツ姿、それに合わせた立ち居振る舞い、無造作な髪形、苦悩する表情。
どれもまごうことなきかっこいい松田優作さんだ。
その「探偵物語」、まだ14歳にもなっていないおぼこい少年は男女の機微というか、
互いに惹かれあっているのに交わることのない人生なんて、意味不明なわけです。
「好き同士なら一緒にいればいーのに」の一択しかないんですよ。
何よりこの胸の「モヤモヤ」はなんなんだ?うっとおしいぞ!という感じがしばらく続くのがたまらんのです。
そしてこの「モヤモヤ」、いつかの感じに似ている。過去にも同じような、何とも言えない気分になったことがあるぞ。
1979年11月11日
言わずと知れたオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの名作中の名作。
内容の説明など不要かと思いますが、サラッと触れときます。
ヨーロッパ某国の由緒正しき王族の王女アンは各国歴訪の旅の途中。
しかし、もともとの規律厳しい生活に加え、過密スケジュールによるストレスのため
滞在しているイタリアはローマの城から脱走してしまう。
そのアン王女、偶然出会った新聞記者ブラッドレーと共に身分を隠してローマの街を気ままに散策し自由を満喫する。
同じく身分を隠しスクープのためにアン王女を案内していたブラッドレーだったが、
次第にアン王女に惹かれてゆき、アン王女もまたブラッドレーに惹かれてゆく。
最後はそれぞれが特別な思い出を抱いたまま元居た場所に戻る…というラブロマンスだ。
そして観終わったまだ10歳になったばかりの少年は最後の
「惹かれあいながらも別れる」という結末に「モヤモヤ」しています。
10歳になったとき、母が言っていました。
「もうあんたは『つ』がつく年とちゃうんやからな。もう立派なお兄ちゃんやねんからしゃんとせなあかんねんで」
ようは、9歳までは「ひとつ、ふたつ、、、ここのつ」で最後に「つ」がつくから、
10歳になった私は「とお」ということで、めでたく「つ」という境界線を越えて
「ただの子供」ではなく「大人の一歩手前の入口に立った子供」ということを自覚させて、
プラモやLEGOをねだろうもんならすかさず「もうお兄ちゃんやねんからっ」と言って我慢させる母の戦略なのだろう。
そんな戦略はともかく、大人の入口に立ったからといって本物の大人の心理など推しはかれるはずもなく、
胸に「モヤモヤ」を抱えて数日を過ごすのです。
この「モヤモヤ」が「探偵物語」を観終わった後の「モヤモヤ」とよく似ていたんです。
おそらく、子供ながらにどちらの物語でも二人が一緒になれないのはなんとなく分かる、という気持ちと、
互いに気持ちがあるなら一緒にいるべきだ、という子供なりの正義との葛藤が「モヤモヤ」の原因なのだろう。知らんけど。
そう考えると、もう同じような結末の物語を観ても「モヤモヤ」しないのは
「あぁ、あの頃の純粋さはもうどっか行ってしまったんだな…」と、当たり前すぎることを考えつつ、
時折、遠い目をしながらこれを書いています。
なぜこんなモヤモヤ話をしてるかというと、
今、東京ミッドタウン日比谷で漫画家でイラストレーターの江口寿史先生の「東京彼女」というイラストレーションの展示会が開かれていて、
うわーいきてーなーと思ってたら、江口寿史先生に傾倒していった頃(1983年前後)を思い出していた。
この頃はとにかく江口寿史先生の影響を受けてイラストを描きまくってた。
トレードマークもマネして自分のを作ったりもして。まぁ、誰かが止めないと時間を忘れて描いていた。
それが中学ン時。ちょうど「探偵物語」の時期だ。
今でもショートヘアの女子をカッコよく描くけど、「探偵物語」が上映されたころは
薬師丸ひろ子さんをモチーフにしたイラストやキャラクターを先生の作品でちょこちょこ見かけた。
その流れで「探偵物語」を思い出し、松田優作さんに思いを馳せ、物語の終わり方でモヤモヤしたよなー、
モヤモヤと言えば「ローマの休日」も最初観たときはそうだったよなー…ということを思い出したワケ。
完全なる妄想の世界w
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