12月定例会のご報告・年末特大号

皆様、こんにちは!

川崎つながろ会の杉田どぇす。

ようやく寒さが厳しくなり冬らしくなってまいりました。

外出ではブレスサーモの厚手タイツが大活躍です。ブレスサーモ、マジ凄い。

 

それにしてもよ。年末です。師走です。

んっっっとに一年が早い。早すぎるっ!

しかもヒマ人の私ですら20日までお勤めがあるという異常事態。どうなってんだか。

 

今年はどんな一年だったかなあと振り返ってみると、例年以上にアクティブな一年だったと言えるかもしれない。

年が明けて3月に講演会&髙野会長スイス報告会があって、春は推し活のアメフト観戦(オービックシーガルズ・パールボウル五連覇達成)、

足の装具を作ったりもして外出が多かった。毎月定例会もあるし。

夏には「ご近所車いす入店の輪を広げよう」ということで何軒かの地元のお店でランチをしたり。

そして秋にはまたアメフト。そして東橘中学でのインクルーシブ運動会。そう、今年は外出がかなり多かった。

 

その要因は

学生ヘルパーの成長

にあります。

今年のトピックはなんつってもこれだな~。

 

去年の後半から我が家にやってきた二人の学生ヘルパー。

川崎市立看護大学の一年生であり(当時)、ボランティアサークル「川崎リンクス」のメンバーだ。

諸事情あって「これから研修の仕上げ」というところで年明け早々強制的に独り立ちとなりました。

そこからは妻の指導もありましたが、二人がカラッカラのスポンジのごとく吸収力を発揮し3月の講演会の頃には「いいヘルパー」なっていました。

また、夏前には同僚に私をよく知る大人ヘルパーも加わってさらに戦闘能力を高め、

今では、新たに加わった五人の学生の指導を担うヘルパーの先輩として、ウチの学生たちをまとめている。

学生ヘルパーのイベントで活動報告をする「ウチのリーダー」の二人。

 

 

 

 

一方で、突然の訃報もありました。

「川崎つながろ会」の設立当初から積極的に参加してくれていた安達公平さんが7月に逝去されました。

公平さんの思い出といえば真っ先に思い出されるのが一回目のバスハイク。

シトシトと雨が降る中、奥様との軽妙なやり取りで大いに場を盛り上げてくださいました。

生前のご厚誼に感謝し改めてご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

さて。

今年は大災害で始まりましたが、もうすぐ始まる新しい年はどんな年になるでしょうか。

どんな年になろうとも、誰もが思う通りの選択ができることを祈ってます。

 

 

 

てなわけでまずは定例会のご報告、そして今年の振り返りと来年の展望を「つながろ会メンバー」から頂いておりますのでご紹介します。

では、張り切ってどーぞー

 

 

1.参加者

当事者:3名、当事者家族:2名、医療職:1名、介護職:1名、支援者(事務局):1名、学生:8名

 

2.自己紹介と近況

支援者Oさん:生協のイベントで特賞の米2キロと2等の麺つゆが当たった!バスハイクの感想を読んで学生ヘルパーの成長を感じた。

医療職Kさん:訪看ステーションの管理者。当事者家族Kさんから元気ですとの伝言あり。

当事者Nさん:2週間風邪をこじらせたが今朝治った。10年前第九を歌ったことを思い出した。

看護学生Yさん:髙野会長ヘルパーだが今日は自主参加。実習で色々学んだ。弁当作り頑張りたい。

看護学生Eさん:大学でiPadを使っていたが昨日PCを買った。

杉田どぇす:来年2月でALS発症12年。ヘルパー研修に追われてへとへとだが学生ヘルパーが成長して土日の外出がしやすくなった。

来年1年間、「境を越えて通信」で写真ネタのコラムっぽいのをやることになった。

看護学生Kさん:一年を振り返り年始からアメフトに行ったりスポーツが楽しい一年だった。

先日代々木公園で看護学生・リンクスファウンダーWさんと3時間しゃべってた。

看護学生Iさん:先週実習が終わり怖いと聞いていたが優しかった。駅に置いていた自転車カゴに賞味期限切れのウインナーが入っていた。

杉田どぇす家族:iPhone6から16に買い替えた。初PayPayで事務局にバスハイクの食事代を払った。

各種アプリの仕様が変わっていて驚いた。

看護学生Hさん:駅でボーイスカウトが募金活動をしていて可愛かった。

髙野会長:大遅刻ですみません。今日は外出4連チャンの3日目。今年はたくさん外出できた。

看護学生Wさん:実習続きと103万円問題でヘルパー入れなかった。2ヶ月ぶりのヘルパー。来月は15万以上稼ぎたい。

看護学生Sさん:髙野会長ヘルパー。11月後半に実習が終わった。先週ジブリに行った。

佐藤雄二さんご家族:12月20日に引越のため作業中。捨てるのが大変だから物は買わないと決めた。

メルカリでひな人形を出品したら外国の方に売れた。

佐藤雄二さん:引越のためレスパイト入院に向け取説更新中。STとヘルパーさんとのお別れがあった。

訪問入浴スタッフが急に5人も辞めて振られた気分。

介護職Tさん:チンピラみたいな人に話しかけて視野を広げようと思ったができなかった。

看護学生Iさん:髙野会長ヘルパー。最近引越をした。

 

3.来年の活動について

杉田どぇす:バスハイクより軽いノリの

「誰かの”好き”につきあってみよう」

というお出かけ企画を思い付いた。

誰かの趣味や夢中になっていることをみんなで楽しもうというもの。

で、そのあとはお店(である必要はない)を予約しておいて「おしゃべりタイム」。

ちょっと説明をば。

 

a.バスハイク=長時間、長距離移動はハードルが高い人がいる。

振り返ってみれば自分も当初は不安だったことを思い出した。

「ハラ下したらどうしよう」「すごい渋滞に巻き込まれたらどうしよう」

そういうリスクばかり考えていたが、結局「エイヤッ」で行ったんですがねw

体調や不安に思う気持ちは人それぞれなので「公共交通機関(あるいは自家用車やタクシー)で集まる」という選択肢を増やしたいなと思ったんです。

バスの長時間移動はハードルが高くても、移動手段が自由なら行ってみようかな…そうなってほしいなという気持ち。

 

b.バスハイク=移動時間が長いが車椅子当事者は移動中、誰ともおしゃべりができない。「寝る」か「耳がダンボ」しか我々に道はない。

「普段の支援中に話しゃいいだろw」と言われるかもですが、普段は時間があれば作業したいし本だって読みたい(私)。

そもそもまとまった自由時間はさほどない。土日は溜まったドラマ。時間があれば作業だ(私)。

そこで「誰かの好き」の後は、みんなと「おしゃべりタイム」というわけ。

移動は原則公共交通機関。なので移動中も少しならおしゃべりできる。

と、いう趣旨どぇす。

 

支援者Oさん:当事者Kさん(今回定例会不参加)も近場なら参加しやすいかも。

看護学生Wさん:以前からディズニーに行きたいと思っている。看護学生Kさんと企画する。=これはバスハイク版として考える。

支援者Oさん:日程さえ決まれば福祉バスの予約も可能。

・テニスの試合観戦に行きたい。

・今年も会社から10万円の寄付金をゲットした。

・気候が良くなったら公園でピクニックがやりたい。

・近所にジャイアンツタウンが来年3月にオープン予定。

・芝生の公園(砧公園)に行きたい。

・プラネタリウムに行きたい。

 

・今年度の講演会は無しでよいか?→OK!…スミマセン

 

4.お知らせ

川崎市立看護大学のボランティアサークル「川崎リンクス」は代表が看護学生Wさんから看護学生Kさんに引き継がれる予定。

代表から発表があり、代表と次期代表の要望で誠にけしからん状況となってしまった。ワリィネ

中央左が代表(創立者・髙野会長へルパー)、右が次期代表(杉田どぇすへルパー) この状況に「強要説」も出ているが、ただのやっかみであろう。

というわけで後日、お二人に今回の経緯と、引き継ぐ者として期待すること、受け継ぐ者としての抱負を語ってもらった。

【代表継承の経緯】

代表:代表継承の経緯としては、私が看護実習で忙しくなってしまったことで、なかなかリンクスの活動に参加できなくなり、代表としての役割を果たせていないと感じるようになりました。これでは、後輩学年との連携も疎かになってしまい、リンクスが上手く回らなくなると考えたため、活力ある1年生と2年生でさらにリンクスとしての成長を遂げて欲しいと思うようになりました。そこで2年生の副代表2人に相談をしました。

次期代表:Wさん(代表)から代表継承の依頼を受けてから、2年生の副代表2人で相談を重ねました。Wさんは「どちらに任せても大丈夫だと思っている」と声をかけて頂いていました。私たち2人も「どちらが代表になってもリンクスは上手くやれる」と思っていたため、譲り合い合戦が始まり、代表決定には時間を要しました(笑)。

こういった経緯があり、私たちは”リンクスの代表を2人にすることは出来ないのか”という案を思いつきました。これは私の意見ですが、私達はリンクスに対して同じだけの熱意と愛を持っていると思います。そんな2人であるため、代表が2人である方が川崎リンクスがよりよく、より大きくなっていくのではないかと考えていました。

しかし、今後多くの方々と繋がり、リンクスとしての活動を展開していく際には代表は1人である方が連絡を取りやすく、様々な情報をまとめやすいという考えを持ち始めました。

次第に私は「代表は1人の方がいいのかもしれない」と考え始め、頭を悩ませていました。そんな時に、一緒に副代表をやっていた彼女が「代表お願いします!」と声をかけてくれました。お互いに長い時間悩んでいたため代表を決断することは難しかったのですが、代表になることを任せてもらえたことが嬉しく、「この子と一緒にリンクスを作り上げていきたい」という思いから代表になることを決心しました。後押しをしてくれた彼女は副代表として共に頑張っていきます。

 

【今後のリンクスに期待すること】

代表:川崎リンクスを設立して約2年、、ここまで代表者としてやってきましたが、代表者らしいことができたのかは自分でもまだよくわかりません(笑)。この2年間という時が経つのはとても早く、気付けばもう世代交代の時期になってしまいました。正直この2年間を振り返った時に、自分のやり方に反省点だらけで、たくさんの業務を残してしまったという申し訳なさでいっぱいです。

そんな私が今後のリンクスに期待することについて、自分の反省点、やり残したことも合わせながら書いていこうと思います!

 

1.みんながそれぞれ輝くサークルになってほしい

私の反省点の大部分はこれが締めます。私だけがゴールテープに向けて走りすぎたあまり、他の学生をスタートラインに置いてきてしまったのです。つながろ会の皆さんは既に理解されていると思いますが、私はこの活動に対して人一倍熱意をもっています。これが個人競技であれば強いのですが、サークル活動というのは個人競技でも団体競技でもあり、特に代表者として立つ私は、みんながスタートラインから自力で走ることができるようにサポートしなければならないと思います。

そうすることで、きっとみんながそれぞれもっている考え方を最大限に活かした活動ができるのではないかと思います。

 

2.みんなで助け合えるサークルになってほしい

これも私の反省点TOP3に入ります。。「1」の内容と被るところがありますが、熱意がある私とそうでない学生で活動以外にも各々が立候補した役職もなかなか円滑に進まず、私の悪い考えで、「誰かに任せて時間かかるなら自分がやってしまう方が早く終わる」と思い、他の役職の人がやるべきことすらも、やらないなら私がやると引き受けることが多かったです。しかし結果的に私自身に限界がきてしまい辛い時もありましたし、より他の学生とのやる気に差が出てきてしまったと感じています。だからこそ2年生には同じ思いをしてほしくないと強く願っていますし、みんなで助け合いながらいいサークルを築いていってもらいたいです。

この2つは何がなんでも後輩たちに伝えたいことです。

 

2年という期間で見たら長いものの、大学が忙しかったり、メンバー間でのやる気に差が出てきたりするとどうしても思ったように進まずに、全て途中の状態で世代交代をしてしまったような気もします。

リンクスというサークルの本当に少しの基盤を作ったというだけで、まだしっかりとした基盤はできていません。その基盤が完成するには毎年改良を重ねていく必要があります。改良していくにはそれぞれの学生の立場から見た意見が必要だと思います。ぜひみんなで意見を活発に出し合い、改善していき、「川崎リンクス」というサークルが今後も誰かのためになる団体として存在し続けてくれることを願っています。

 

【抱負について】

次期代表:リンクスの代表を任せてもらったからには、代表が作り上げて下さった基盤をより強固なものにし、より多くの人と良い関係性で”つながり”をもち、インクルーシブな社会の構築に貢献できるような集団にしていきたいです。また、私たちが活動することで支援の形は一通りでは無いということを知ってもらい、性別、年齢を問わず、様々な人に影響を与えられるように学生が協力しあいたいと思います。さらに、リンクスに所属する学生一人一人が自分がやりたい支援の形を見つけられるような体制作りにも励みたいと思います。

私個人の抱負としては、Wさんのように後輩から憧れを持たれるような人になることが1番の抱負であり、目標です。代表や他の学生と話し合った結果、来年の後輩への引き継ぎ等を考慮し今回の私の代表期間は他の学年の代表と比べて短い任期となります。そんな中でも私の大好きな川崎リンクスを広く、大きく色々な方に知っていただけるように邁進してまいります。

 

5.次回定例会

定例会は2025年1月19日・13時30分~16時・福祉パルみやまえにて開催。

そしてひっさびさの

新年会!

カプリチョーザ マルイファミリー溝の口店にて開催決定!

1月19日・17時からですっ!

新年会のみの参加、OKどぇす。事前連絡ちょーだい。←このページに

「定例会と新年会参加」

「定例会のみ参加」

「新年会のみ参加」

いずれかをコメント欄に書いてください。

 

以上、定例会のご報告でした。

 

 

ここからは、

つながろメンバーの「いく年・くる年」振り返りと新年の展望

というわけで参加いただいた方に語っていただきました。

まずは髙野会長です。

私にとっての2024年は、スイス出張の余韻から始まりました。クラファンの返礼と報告書をまとめるのに2ヶ月を費やし、3月のつながろ会講演会でようやくその様子をみんなに伝えることができました。

今年は、4月と7-8月と不眠で体調が悪化しましたが、つながろ会の定例会に出かけることが楽しみでした。この期間は仕事も滞って各方面に迷惑をかけまくりましたが、10月になるとようやく頭がクリアになって、やる気が復活しました。会長の体調がイマイチでも定例会が続くので、つながろ会も成長したよなと、まわりのみんなに感謝しかありません。

11月のバスハイクは、伊豆・三津シーパラダイスに行きました。今年は当事者の参加も学生の参加も増えて、さらに賑やかになりました。川崎リンクスだけでなく、他校の学生の参加もありました。ALSは寝たきりになると世間では思われていますが、地域の協力を集めることができれば、健常者同様に楽しむことができるのです。

佐藤さんとご一緒した看護専門学校での講義や、杉田さんとご一緒した中学校でのインクルーシブ授業といった社会活動も広がっています。

病気の特性上、つながろ会で知り合った患者さんが亡くなってしまうことはあります。それでも元気に活動して、新しい仲間の参加を歓迎して、2025年もみんなで心は元気に過ごしていきたいものです。

 

 

次は今年から定例会に参加してくれたお二人です。

お一人目はALS当事者の西牧和音さんです。

2024年も精力的に活動をして様々な経験をさせていただいたとともに、多くの人との出会いがあった1年だったと感じます。正直なところ予定を詰め込みすぎて心に余裕がなかった時期もありましたが、その分全体を通しても充実した日々を過ごすことができました。個人的に特に大きな変化として、生活面では一人暮らしを再開したことと再就職できたこと、療養面では胃ろう増設と在宅療養環境が整ってきたことが挙げられます。

2025年はあまり予定を詰め込みすぎず、マイペースにゆったりと過ごせればいいなと思っています。が、結局また色々楽しいことに足を突っ込んで慌ただしく時が流れていくのだろうと予感しております笑 できればまた国内旅行に行ってリフレッシュと撮影を楽しみたいです。一方で、バリアフリーの物件に転居することが現状の最重要課題となっています。

今年は周りの人たちにたくさんお力添えいただいたので、来年は自分が誰かのお役に立てるようになれたらいいなと思っています。そのためには今まで以上に人とのかかわりを大切にし、自己主張もしっかりしていけるような芯のある人間になることを目標に生きていきたいです。

 

 

もうお一人は筋ジストロフィー当事者の金子文俊さんです。

今年もいつの間にか年の瀬です。この1年を振り返ると、昨年の終わりに初めて誤嚥性肺炎を経験し、そこから食事方法の見直しや呼吸器の導入など、在宅生活において多くの変化がありました。それは同時に、複数の関係者からいくつもの提案が輻輳して、考えなければならいことが積み重なっていく状態でもあります。今まで入っていた支援機関も、次々に追加・変更されていく条件の中で混乱して、上手く連携が取れないことも増えてきました。

そんな中で、在宅での医療的ケアについて当事者の大先輩方から学ばせていただくためにも、以前から名前だけは伺っていたつながろ会の定例会へ、初めて参加してみることにしました。

7月、35度の猛暑の中、初めてお邪魔するにも関わらず時間ぴったりに会場に着いたところ、髙野さんや杉田さんをはじめ、約30人の方々が集まっており、あまりの大人数に大変驚きました。

定例会では、メンバーそれぞれが困りごとを相談できる時間を設けているため、現状をお話したところ、初めて参加した私にも当事者・ご家族・支援職などそれぞれの立場で経験に基づく丁寧なアドバイスをいただき、とても感動したことを覚えています。みなさんの情報のおかげで、神経難病患者がどのように在宅生活を送っているか、医療機関とどのように連携していくかを実例として初めて伺えました。

定例会の参加をきっかけに、代表の髙野さんには訪問看護事業所までご紹介いただき、実際に訪問をお願いすることになりました。その看護師さんが大変熱心で、呼吸器を中心に専門知識が豊富だったこともあり、医療面に関して現状の整理と新たな提案をしていただいた上に、関係機関との連携も積極的に進めてくださいました。同じく、以前から熱意を持って非常に手厚く支援していただいている相談支援員とともに、現在は医療福祉の両輪がしっかり回り始めています。

今まで当事者会に参加しようと思っても、障害の種別や地域が合わずになかなか実現しませんでした。つながろ会への参加は誤嚥性肺炎・医療体制の見直しといった喫緊の課題の解決が直接のきっかけではありましたが、こんな身近に神経難病の温かく楽しいコミュニティーがあるとは思いもよりませんでした。

つながろ会に参加して良かったことは、知識が得られたことだけではありません。ALSのみなさんは、人生経験が豊富です。人生の先輩としても、医療的ケアが必要な先輩としても、私にはなかなか真似できるものではないですが、困難を突破する力と優しさはとても力強く感じます。また副会長の杉田さんのお話は、以前からヘルパーさんやネット記事を通して聞いていましたが、ようやく直接お会いできて、大変勉強になりました。

さらにボランティアで会の運営に携わっている市立看護大の学生さんとも交流が生まれて、学園祭にも参加しました。ふだん関わることのない人たちとの出会いは、日々の楽しみになります。

2024年は、多くの方々に支えられ、医療体制を整えることができた1年でした。まさに「災い転じて福となす」を実感した年でもあります。来年は、つながろ会で得たつながりをさらに広く、深くしていければと思います。

 

 

そして、いつも遠方より参加いただいているALS当事者の江村俊彦さんです。

バスハイクしか顔を出さない江村というあながち外れているとも言えない汚名の返上を目論んでの寄稿です。

「当事者の振り返りと来年の展望」

日本人なので「一年の計は元旦にあり」ということで、毎年元旦に厳かに志を立てて年末に振り返る生活をしていたかというと、私生活ではそういうPDCAサイクルにはお恥ずかしながら殆どご縁がありませんでした。ならば、そういう体で書こうかとも考えましたがフィクションを求められているわけではありませんから却下。ということで、厳かな志とは言えませんが、心の片隅にいつもあった3つの漠然とした想いに関して、日本人なので「格言」や「諺」、「四字熟語」、「それらの類似品」と共にふわっとした振り返りをしてみます。

 

振り返り

想い 大前提としての穏やかな療養生活 & 病気や怪我のトッピングをしない:

2023年の44月初旬に奥多摩にトレイルランニング大会の応援に行って、(電動ではない軽量の)車椅子でスロープを下る際にバランスを崩して車椅子ごと転倒。コンクリートの路面で頭を打って救急搬送され、外傷性くも膜下出血との診断。その翌日から別の病院で治験での入院を予定していた為に一泊の入院で開放してもらえたものの、ヘルパーさんも家族も不在のコミュニケーションの殆ど取れない不安な入院はもう勘弁。加えて、普段からお世話をしてくださる皆さんに心配をかけてはいけないという思いを強くした。

「無事これ名馬」

2024年はALSの症状の進行はあるものの10月まではとても平穏で、つながろ会でパクったLICトレーナーもいい感じ。残念だったことを敢えて挙げるとしても、東邦大学大森病院でHALでのリハビリに非適合だという判断が出されたことくらい。

が、11月に入ってこのまま穏やかな年の瀬かと思い始めた、バスハイクをその週末に控えた金曜日の夜、浴室でシャワーチェアに移乗する際に左足の外側の指3本を強く捻ってしまいました。ひょっとしたら骨を傷めたかもという感覚はあったものの、バスハイクが優先。で、中指の痛みが引かないので後日レントゲンを撮ったら、伏兵の小指に骨折。

「私は駄馬」

11月は月末にもうひとつあって、訪問入浴の際にスタッフさんから「股間の左側の玉にしこりが有ります」というご指摘。直ぐに訪問医に相談したところ、「12月に乳がんの定期観察で通院する際に、腎泌尿器外科外来で診てもらいましょう。もし精巣腫瘍という診断になればお笑いコンビ・爆笑問題の田中裕二さんや俳優・梅宮辰夫さんの様に睾丸摘出手術をすることになります。」

病院での診察では、「何らかの理由でばい菌が入った可能性があるので、まずは2週間強力な抗生物質を飲んで様子を見ましょう。」と。次の診察はこの寄稿の後の年末。私が今恐れているのは腫瘍や手術ではなくて、(上でも触れた)介助者のいない入院生活。股間の玉には私のこんな不安な気持ちは理解できないだろうな。

「睾丸無知」

 

想い 介護保険の65歳問題:

65歳を迎える今年に入ったとたんに「65歳問題」という言葉が気のせいか頻繁に目や耳に入るようになったが、自分で調べてみても分かり辛くて眠くなるだけ、の繰り返し。結局何の対応も出来ないまま、6月に自動的に65歳になってしまいました。

夏真っ盛りの頃は練馬区役所の福祉課から厄介な電話がいつ掛かって来るのかとビクビクする日が続きましたが、運が良いのか何なのか分かりませんが、これまでの処「やっぱり来たか」はなく、寒くなった今は思い出すことも少なくなりました。あと半年で65歳も卒業なので、大人しくしておこうと思います。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

 

想い ランニングイベントへの参加:

2023年の5月より新型コロナウイルスの位置付けが5類に変更されました。この変更に伴い、コロナ禍の数年間は開催が控えられていたランニングイベントがまた開催されるようになりました。コロナ禍前のランニングの大会は走ることができる人とレース仕様の車椅子のためのものでしたが、ここで私が腰を抜かさんばかりに驚いたのは、競技用の車椅子ではなくて生活用の車椅子を使用するという、少なくとも私の概念の中では「超」が付く程に「画期的」ともいえるカテゴリー「ユニバーサルラン」の出現。介助者=伴走者が必須で、大会によっては電動車椅子での参加もOK。もう眼からコンタクト(が落ちんばかり)の衝撃でした。

これまでは沿道で応援するだけでしたが、2024年は3月に富山県でそのユニバーサルランの10kmに参加。自力で何かをずることに拘っていた私が、信頼する介助者に車椅子を押してもらって、介助者と一緒にゴールするランニングの楽しさに気付きました。(ありがとう。そこでは漏れなく介助者の頑張りが求められます。)気持ちもワクワクする新しい発見でした。(介助者も楽しめたのかしら?)

「他力本願」(誤用)

また、10月のスポーツの日とその前日に奥多摩山域で開催されるハセツネCupという距離:71.5km制限時間:24時間のトレイルランニングの大会にボランティアスタッフとして参加させてもらうことも出来ました。まだ電動車椅子に乗って一人で出歩くことができていた2019年の体育の日の大会でボランティア活動を予定していましたが、大型台風の襲来で大会は中止。その後2年間はコロナ禍で大会は中止。2022年から大会は再開されたものの、こちらの身体が不自由になっていたのでボランティアは諦めていました。が、応援に行くだけでは物足りなくなってきて、今年の大会のボランティア募集に応募してみたら、なんと採用。

完走者に完走記念のTシャツを手渡しするお役目。制限時間までの最後の3時間で200名以上のランナーにTシャツをお渡ししました。ボランティアスタッフはある意味予期せぬ出来事でしたが、これまでの応援とは一味も二味も違う、ハセツネに戻ってきた感・(タイムは無くても)ハセツネに参加した感満載、加えて完走者の熱や思いも感じることもできて、充実感で一杯のフィニッシュラインのちょっと先での貴重な3時間の二人羽織でのボランティアでした。

「犬も歩けば棒に当たる」

来年の展望

来年のことを考えてみるものの、読み手が「おお、流石65歳」と唸るような深い内容は欠片も浮かばす。結果的に前半の振り返りと同様に、私なりの身の丈に合った展望で、内容は昨年の想いのバージョンアップ。

 

展望 ランニングイベントへの参加へ追加のトッピング:

話の流れに沿って、まずはランニング関連から。今年のユニバーサルランへの参加とボランティアスタッフでの活動で味を占めた私は、見かけ通りのお調子者。今年参加したイベントに新しいイベントを追加することで、安直にその内容をより充実したものにできるのではないかと考えている。

最初の試みは、2023年の春に応援に行って車椅子ごと転倒して救急搬送されたトレイルランの大会でのボランティア活動。ここで勢いをつけて、2025年のランニングイベントを楽しみたいと考えています。

この春の大会はスポーツの日に開催されるハセツネCupの予選会の位置づけです(距離が短い「ハセツネ30km」)。2019年のこの春の大会の日にコース沿いの畑で作業をしていた世話好きのお婆ちゃんが、当日のボランティアスタッフと私を繋いでくれたのがきっかけで、私は今年の秋の大会でボランティアをさせてもらえました。今年の春ハセツネ30kmの日にその畑に行ってみたらその世話好きのお婆ちゃんの姿は見当たらず。お婆ちゃんのお名前とご自宅の場所は伺っていたので、近くにいたお爺ちゃんと話をしたら、昨年亡くなられた、とのこと。私は見かけよりも義理堅いので、来年の春、御仏壇にお饅頭をお供えして感謝の気持ちをお伝えしようと思います。

一言芳恩」

展望② 大前提としての穏やかな療養生活:

現在抱えている左足の指の骨と股間の玉の診断がどの様になるかは現時点では分かりませんが、年が明けて私の電動車椅子がまっすぐに進まずにフラツイテいたら「左側の玉を取ったんだな」と思ってください。

ALSに関しては、これまで通りその症状の進行と自分の気持ちとの間で折り合いを付けながら付き合っていくことになろうと考えています。週2回の筋肉注射を始めたロゼバラミンが効いてくれますようにと願いながら。もうひとつ、これは確信があるわけではありませんが、気管切開のタイミングがそんなに遠くはないと感じていますので、年が明けたら訪問医と具体的な相談を始める予定です。

「備えあれば患いなし」

 

それ以外の具体的な進行や変化は現時点では想定していないので「もうちょっと待ってくださいな」という気持ちなのですが、万が一想定外のトッピングが発生しても往生際の悪さを発揮して何としてでも生き延びようと考えています。

「ともに生き延びる」

みなさん、年末年始をお健やかにお過ごしください。

またバスハイクで元気な顔でお会いしましょう。

\(^o^)/

 

 

そして、今年も最後はこの方に締めていただきます。「ユージの部屋」の主、佐藤雄二さんです。

今年の振り返り

前半低調、後半は怒涛のような展開の年であった。当てにしていて見学までした病院からNPPVの方は受け入れできないという意味不明の断られ方をし、次にチャレンジした横浜市のレスパイト入院事業の方には、4月は人事異動でバタバタしていると断られ、レスパイト入院には余程縁がないとガッカリ。大谷の選手生命の危機?!ハラハラした違法スポーツ賭博事件も、人生初めてのパソコンのハードディスククラッシュも前半の出来事。

しかし、6月大谷のホームラン量産や8月ならレスパイト入院受け入れOKの連絡辺りから潮目が変わり、レスパイト入院のための「佐藤雄二のトリセツ」作成に没頭していた7月に色々といい事が”発生”した。長女が交際中の彼氏と結婚すると二人で報告してくれた。いいお相手なので、世間の花嫁の父とは真逆?の満面の笑みで快諾!その二週間後位に、かねて探していた駅近マンションの中でも最も狙っていた物件が売りに出されるや否や見学し、翌週には転居を決めた。お盆の頃はじめてのレスパイト入院、これが予想を超えた対応で、リピーター宣言!9月、両家顔合わせで、いい方々にひと安心。12月に引っ越しと決めると、妻の泰子は獅子奮迅、八面六臂の超絶の活躍で、粗大ごみ回収、メルカリ、ジモティーを駆使して断捨離を進める。微力ながら私もヘルパーさんの助けを借りて書類、本、写真の断捨離。

引っ越し本番の12月、泰子はママ友の助けも借りて睡眠不足とも戦いながら予定通りの20日に引っ越しをやり遂げた。同じ日わたしは二回目のレスパイト入院中の病院で、実習中の看護学生が、消灯して真っ暗の中きよしこの夜を歌いながらキャンドルをもって進み、病室の入り口ごとに立ち止まって歌を聞かせてくれるイベントに遭遇。厳かな気持ちになり、引っ越しという一大イベントを家内一人に任せっぱなしのこと、川崎リンクスのみんなも実習先で頑張っているんだろうな、とか色々なことが頭に浮かんできて、なぜかじわーっと涙した。年に一度しかないキャンドルサービスを見ることが出来るなんて、この週を選んでくれた泰子は”神”?!と家族にラインしたところ、”カミさん”だもんね、と次女!素敵な”きよしこの夜”でした。その一週間後には、急遽旧居の売却契約締結までいってしまうという目まぐるしい歳の瀬となった。

 

来年の展望

先ずは1月に長女の結婚式!車椅子でバージンロードを歩く?らしい。3月のドジャースvsカブス戦を何とか車椅子席を当てて生の大谷のホームランを見ること。9月には国立競技場で世界陸上観戦!こちらは既に車椅子席確保済み。そのビッグイベントの合間を縫って、新居に合わせた佐藤雄二のトリセツの大改訂、レスパイト入院の回数増、妻のワンオペ時間の削減にも取り組みたい。

皆さん、今年はお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

 

 

それでは皆様、今年もお世話になりました

来年もよろしくお願いいたします

よいお年を~

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