7月定例会のご報告

皆さんこんにちは。

川崎つながろ会の杉田どぇす。

 

7月17日、NPO法人境を越えて共同代表、元日本ALS協会会長の岡部宏生さんの訃報がもたらされた。

髙野会長も私も、そして多くの人がALS当事者としてでなく一人の人間として岡部さんを慕い、生きる上での目標にしてきた方でした。

岡部さんは生前、「私は過労死が目標」とおっしゃっていましたが、本当に過労死するのではと心配するほど全国津々浦々、精力的に当事者やそのご家族のために活動されていました。

今はその役目を全うされてゆっくり休んでいらっしゃることでしょう。手足を目一杯広げて大の字になって。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

岡部さん、ありがとうございました。

 

 

 

それでは7月定例会のご報告です。

1.参加者

当事者:7名、当事者家族:3名、医療職:1名、介護職:3名、看護学生:4名、支援者:1名、銭場記者

 

2.自己紹介と近況報告

支援者Oさん:麻雀始めた!高田馬場の雀荘にも行った。オンライン大会できるのでは?バレーボールネーションズリーグ千葉を観戦。

奈良原:髙野会長ヘルパー。髙野家DIY担当。

銭場記者:新聞記者。96歳の広島の被爆者を取材中。

杉田どぇす家族:奥歯の1本の根が弱っているので抜いてインプラントを勧められた。ブリッジと悩み中。(他2名も同じ状況で盛り上がる)

看護学生Hさん:川崎市立看護大2年、杉田ヘルパー。2週間の病棟実習が終わってやれやれ。

看護学生Tさん:川崎市立看護大2年、杉田ヘルパー。2週間の病棟実習が終わってやれやれ。ミューザの鰻の成瀬でバイトしているのでみんな来てね!

医療職Kさん:訪看ステーションの管理者。25歳のナースが入所して期待している。

杉田どぇす:先月イベント参加時にポータブル電源が切れて慌てた。そこは秋葉原だったので急遽購入して事なきを得た。

髙野会長:新潟日帰り出張講演、看護大講演と忙しかった。昨日期日前投票済ませた。岡部さんご逝去、通夜に参列予定。映画「国宝」を観たい。

介護職Nさん:髙野会長ヘルパー。ハマスタで横浜ベイスターズ戦を観戦。チケット無料だったのにビール代が高くついた。ALS協会神奈川支部総会のときにアモレが動かなくなって慌てた。

当事者Kさん:自身は頸椎損傷、母がALSで三食胃ろうになった。施設入所予定。

当事者Tさん:ギランバレー症候群とビッカースタッフ脳幹脳炎を併発。希少難病のため仲間がほしくて参加。罹患して2年。長く入院していたので在宅の困りごとはまだわからない。

当事者Kさん:筋ジストロフィー。約1年前に医療含め多職種連携が乱れて、杉田ヘルパーの紹介で会に参加するようになった。期日前投票の帰りに向ケ丘遊園の祭りに立ち寄った。数万人きているらいしい。吸引機を購入予定。髙野会長紹介の訪看にお世話になっている。

介護職Kさん:金子ヘルパー週2回。認知症の母の介護中。バンドのボーカルもやっている。母が3ヶ月入浴できていない。気に入るデイサービスを探している。

佐藤雄二さん:横浜市青葉区在住。ALS歴8年64歳。訪問看護の同行実習で我が家に来た学生が、2年前学校で講義を聴いたことを憶えていてくれて嬉しかった。今月はサッカーの試合を観戦に行く予定。楽しみ!

佐藤さんご家族:メダカを飼い始めた。朝ケアや夜ケアで忙しいのにメダカに癒されて眺め続けている。

当事者Nさん:東京都目黒区在住。ALS歴4年。毎週末外出して日焼け。肋骨2本骨折したが治癒中。キムタクのYouTubeチャンネルで懐かしのGOODLUCKやってた。これからHAL入院と奄美大島旅を予定している。

当事者Nさんご家族:奄美大島旅の準備をしている。

看護学生Mさん:武蔵野看護大4年、髙野会長ヘルパー。これから救命救急病棟に研修に行く。

 

3.その他質問等

Q.当事者Nさんの行動力に感心。その原動力は?

A.

当事者Nさんご家族:ALSになる前より出かけることが増えた。元気をもらっている。

当事者Nさん:毎日楽しいことを考えているとポジティブになれる。

 

Q.カフアシストの導入時期や効果、使用中のメーカー等教えてほしい。

A.

排痰効果は高くスッキリする。呼吸器とともに導入するため医療保険の算定で同一の医療機関でないと難しい。フィリップス社製は製造中止?

髙野会長・杉田どぇす:使用機種はカフベンテック社製

 

Q.夜勤ヘルパーはどこの事業所を使っているか?全国展開の事業所しかないのか?

A.

杉田どぇす家族:8年前の利用開始時はその事業所しかなかった。夜勤週6利用。長期勤務の非常勤もいる。スタッフが多く入っていれば急な代勤対応可能というメリットはある。登戸の事業所もあたってみては?

髙野会長:夜勤週4回利用。長期勤務の非常勤あり。1名はそうはつ入所し週3夜勤常勤となった。

佐藤さんご家族:日勤で探していたときに、夜勤なら可能という事業所はいくつかあった。

 

4.今後のイベント

◆映画『杳かなる』上映会

①日時:9月13日(土)13:00開場、14:00~16:10上映・場所:ステーションコンファレンス川崎(カワサキデルタ JR川崎タワーオフィス棟)

 

②日時:10月1日(水)川崎市立看護大にて上映会

 

◆バスハイク

日時:11月9日(日)※福祉バス予約済

場所:(仮決定)秦野戸川公園

https://www.kanagawa-park.or.jp/hadanotokawa/index.html

 

5.次回定例会

2025年8月17日(日)13:30~・会場:てくのかわさき

 

 

 

 

 

ごめん、今日のひとりごと、長いです。

あれから40年。

 

1979年。

十倉くんという少しませた同級生がいた。小五の頃だ。

 

十倉くんはちょっと濃いめで、しっかりした顔立ちの二枚目だが、めちゃくちゃ面白かった。二枚目なのに顔芸がすごかった。そして一番感心したのが、男子としゃべるように女子ともしゃべれること。当時の自分には逆立ちしても無理なことでした。十倉くん、元気にしてるだろうか。

そんな彼があるときウチにカセットテープ(カセット)を持ってきた。

そのときのやり取りは記憶にないが、ウチには狭い団地の部屋にはアンバランスな大きなステレオがあった。「大きな」というのは子供の頃の記憶だからで実際はそうでもないのかもしれないが。

主な使用者は母で、よくレコードやラジオを聴いていた。ポールモーリアがお気に入りだった。

なのでたぶん、そのカセットをステレオで聴いたんだと思う。

 

録音されていた音楽はビートルズだった。

 

当時、ローカル局のサンテレビで夕方にビートルズのアニメをやっていた。イギリス製の古いアニメでストーリーなどなく、メンバーの4人がせわしなく動き回っていてバックにビートルズの曲が流れるだけの番組、と記憶している。十倉くんがビートルズを聴かせてくれて以降、必ず見るようになった。

ビートルズに出会うまでの音楽と言えば、ささきいさお、あとはテレビの歌番組で流れる西城秀樹なんかの流行りの歌謡曲を聴いていた。

 

 

でもビートルズに出会ってからはビートルズ一色になった。それも十倉くんがカセットに録音してくれた曲(初期の楽曲)をずっと繰り返し聴いていた。

それ以降、ガムのCMや邦画のテーマ曲にビートルズの楽曲が使われたりして(Please Please Me、Let it Be)、それらのCMが流れるたびに独り興奮していた。

中一の時のYesterdayの歌詞を訳した英語の授業は、中高通じて全科目の中で唯一記憶に残っている授業だ。自慢すな。

Yesterdayといえば2019年の映画「Yesterday」はご存じだろうか。
ごくわずかな人たちを除いて「ビートルズが存在していない世界」を描いたファンタジー。主人公はミュージシャンとして成功することを夢見る「ごくわずかな人たち」のうちの一人。

この映画で主人公がYesterdayを弾き語る場面があるんですが、これが感動的で。Yesterdayの弾き語りをバックに何てことない風景を映しているのですが、映画の設定としては「あの美しいYesterdayがこの世界で最初に奏でられた風景」なわけです。

そう思うと、なんか胸に迫ってくるものがあるんですよ。
「Yesterday」、ぜひご覧になってみてください。

https://youtu.be/dG0Y507ScL4

 


 

中学時代はビートルズと同時代のバンド、ローリングストーンズ(ストーンズ)も聴きだした。同時に流行りの洋楽も追っかけるようになり、部屋ではずっと音楽が鳴っている状態が日常となっていた。

この頃、邦楽でよく聴いていたのが佐野元春。姉の影響だ。よく姉の部屋でジュノンを読みながら聴いていたのを思い出した。
なんでジュノン読んどんねん。

当時の音楽再生メディアと言えば「レコード」。レコードは中学生には高嶺の花だったが、母の権限で音楽と映画に関してはほとんど制限がかからなかった。

とはいえ、何でもかんでも買ってくれとは言えず、このころ流行ってた「貸しレコード屋」で借りたレコードをカセットにコピーして聴いていた。数百円で借りることができたので、お金がない当時の若者の音楽の楽しみ方だったはず。

高校になる頃には流行りの洋楽熱はフェードアウトし、60年代、70年代の音楽をより聴くようになった。いわゆるクラシック・ロックというやつだ。

その先頭を走っていたのがジミ・ヘンドリックス(ジミヘン)。ビートルズからストーンズへと触手を伸ばしたときに出会った。

思わずジャケ買いしたストーンズのライブアルバム「STILL LIFE」は1981年のUSツアーを記録したものだが、この最後にアウトロとして収録されているのがジミヘンの「Star Spangled Banner」だった。

 

 

1969年に行われた伝説のフリーコンサート、ウッドストックでトリを務めたジミヘン。その時に演奏した曲の一つが「Star Spangled Banner」で、アメリカ国歌を爆撃音のようにアレンジした、ジミヘンを象徴するような演奏。

その時に録音されたものがストーンズのライブでアウトロとして流された。それがSTILL LIFEに収録され、ジミヘンを聴くきっかけになった。

https://youtu.be/_319kQ_GKgc

 

なお、ジミヘンは1970年に27歳で亡くなっている。

 


 

1985年。

高校に入って少し経った頃、日本時間の7月13日夜から14日昼にかけて「ライブエイド」というチャリティーコンサートが行われること、それを8チャンネルが生中継するということがニュースで流れた。

会場はイギリスのウェンブリースタジアムとアメリカのJFKスタジアムの二カ所で行われ、それぞれ7万人規模、10万人規模のコンサートになるとのこと。加えて、世界各国にも中継されるため視聴者は数億人に上るだろうと言われていた。結局、録画放送も含めると130カ国、推定約19億人の人々が視聴したとされている(諸説あり)。

ニュースを聞いた私はすぐ親に宣言した。

「7月14日は学校を休みます」

もうこの頃は勉強に関してあきらめもついていたのであろう。
「はいはい、わかりました」とあっさりOKが出たw

このチャリティーコンサートが行われるきっかけとなったのは、イギリスのミュージシャンが束になって作ったバンド・エイドの曲「Do They Know It’s Christmas?」の成功だ。

これは、ミュージシャンのボブ・ゲルドフがアフリカ・エチオピアの飢饉救済のために立ち上げたプロジェクトで、当時のレコードの売り上げがイギリス国内だけで375万枚という記録的なヒットとなり、それを見たアメリカのミュージシャンたちも後に続きUSAフォー アフリカを立ち上げて「We Are the World」を成功させた。

こうしてチャリティーへの関心が高まり、一気に20世紀最大のチャリティーコンサート、ライブエイド開催が実現した。

 


 

1962年。

ビートルズの「やりたい曲、伝えたい歌詞を自分たちで書き、それを自分たちで演奏し、自分たちで歌う(自作自演)」という覚悟。

ビートルズ以前から自作自演のアーティストはいるにはいたが、大衆受けするヒット曲を次から次へと生み出すようなメジャーなアーティストはいなかった。

当時のほとんどのポピュラー音楽は作詞、作曲、演奏そして歌を、それぞれの専門のプロたちが担っていた。それが主流だった。ビートルズの覚悟はそれまでの音楽産業の構造まで変えてしまうことになる。

また、自作自演の覚悟は、自分たちをただ演奏して歌うだけの存在ではなく、表現者、アーティストであると宣言したに等しい。

ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターという神に選ばれた四人だから成功した覚悟だったのは言うまでもないことだけど、時代も彼らに味方をしたんだと思う。

戦争から復興へ、混沌とした時代に多感な時期を過ごした四人。経済的に安定した社会となりつつある中、戦争を止められなかった既存の価値観に疑問を抱いた四人と同世代の若者たちが、それに縛られたり依存する生き方に背を向けて自由な生き方を求めるようになっていった。

ビートルズの斬新な楽曲、媚びないファッション、自由で率直な言動は当時の若者たちの理想像で先導者のような存在だった。こうして若者たちはこぞってビートルズを支持した。

ビートルズが自作自演をしながらヒットを連発するという衝撃はアメリカにも波及し、アメリカにおいても自作自演アーティストが多数生まれた。

自分の音楽で、自分の言葉でメッセージを発信するアーティストたち。そんなアーティストに対する若者たちの共感を背景に、70年代は音楽業界が急成長を遂げることになった。

それはビジネスとしての成長にとどまらなかった。アーティストが発信するメッセージは若者の圧倒的な支持によって、次第にその影響力を増していった。アーティストも街角の小さな出来事から政治や社会問題に対するメッセージまで発信するようになり、社会を変え得る影響力を持つようになった。

80年代に入りその影響力はある意味で一つのピークを迎えた。
それがバンド・エイドからUSAフォー アフリカの一連の流れであり、それらの集大成であるライブエイドだ。

 


 

ライブエイド開催までいろんな噂が流れた。

マイケル・ジャクソン出演、ソロとしてのミック・ジャガーだけでなくローリングストーンズとして出演、などなどありましたが、何と言っても世間の関心事は

ビートルズ再結成

だろう。

これ、自分的には「ジョンがいないビートルズなんて…」という感じでどうでもよかった。だってビートルズは四人組なんだから。

それよりも関心は別のところにあった。

関心事その一:ミック・ジャガーはストーンズの曲もやるのか?
当時、ミック・ジャガーはソロアルバムを出して間もなかったが、自分としてはストーンズのミック・ジャガーとしてのパフォーマンスが見たいと思っていた。ギターのキース・リチャーズとの不仲が伝えられていたのでストーンズとしてのパフォーマンスは期待していなかった。

結局、ミック・ジャガーはホール&大津じゃなくてオーツ、ティナ・ターナーと共演し、ストーンズの曲は「Miss You」「It’s Only Rock’n’Roll (But I Like It)」をやってくれたものの、やはりストーンズではないので個人的には盛り上がらず…。

関心事その二:エリック・クラプトンがやる曲とプレイスタイル
当時の自分はクリームのエリック・クラプトンが好きだった。クリームの曲はやってほしいと思ってた。その頃のクラプトンはレイドバックも卒業し、私好みのアグレッシブなプレイも聴けるようになってきていた。期待していた。

関心事その三:デビッド・ボウイのパフォーマンス
楽曲もビジュアルもとにかくカッコイイ。

関心事その四:ボブ・ディランは見ておきたい
正真正銘のレジェンド。見ておきたい。で、見れたは見れたんだけど、ちょっと残念だったかな。

関心事その五:レッド・ツェッペリンとジミー・ペイジのパフォーマンス
メンバーそれぞれ個性の塊。このころ、ジミー・ペイジが三大ギタリストと呼ぶにふさわしいのか疑念を抱いていた。見て納得したかった。

 

 

というわけで、ライブエイドが始まった。

 


 

終わった。
途中、何度も寝落ちしそうになったが何とか踏みとどまった。

技術的な問題が起きて度々中継が切れ、その度に日本のスタジオに戻り、つなぎの話をする。こういうことが割と頻繁にあった。ツェッペリン演奏時はノイズがひどかったうえに、会場の音響にも不具合があったようで、ジミー・ペイジが弾きにくそうにしていた。でも、やっぱ三大ギタリストの一人だった。
そういったトラブルが無数にあったが、自分的にはかなり楽しめた。

ではどのアーティストのパフォーマンスが印象に残ったか。
独断と偏見に満ちたTOP5を見てみよう。

No.5:ニール・ヤング
この日までニール・ヤングを知らずに生きてきた。なぜ知らなかったのだろうと自問。
幕が開くとジーンズに白Tシャツの男が一人でギターを抱えて立っていた。もみあげが顎にまで達し目は鋭い。インパクトある。
歓声が上がりそれに応えるように手を上げた。手を下すとおもむろにギターを鳴らしだした。
「The Needle And The Damage Done」「Helpless」などめっちゃ好きな曲だった。何度も繰り返し見た。

https://youtu.be/4XodNkL8qak

 

No.4:パティ・ラベル
この方も初見だった。アレサ・フランクリンが最強と信じていたが、こんなすごいシンガーがいたとは。アメリカという国の懐の深さ、底知れなさを強く感じた圧巻のパフォーマンスは19分54秒から。

https://youtu.be/27CXRpGWnUU

 

No.3:デヴィッド・ボウイ
期待以上のパフォーマンスだった。楽曲の選択、スーツ、髪型まで完璧。録画を何度繰り返し見たことか。めちゃくちゃカッコよかった。
38分17秒からどうぞ。

https://youtu.be/ouqoMVeVsJ0

 

No.2:エリック・クラプトン
こちらも期待以上のパフォーマンスだった。一曲目、クリームの「White Room」。のっけからシャウトしてギターもアグレッシブ。ラストの三曲目は「Layla」。かっちょいいソロのイントロ終わりでカウント入ってあのリフよ。鳥肌もんやんか。ソロパートでは弾き倒し、美しいインストパートでむせび泣くギター。
大興奮の20分弱は31分44秒から!

https://youtu.be/4XodNkL8qak

 

No.1:クイーン
それまでクイーンをまともに聴いて来なかったが、ド肝を抜かれたとはこういう時に使うのだろう。映画「ボヘミアンラプソディー」のクライマックスシーンとして選ばれたパフォーマンスだ。ただし、日本の中継では「Bohemian Rhapsody~Radio Ga Ga~Ay-Oh~Hammer To Fall~Crazy Little Thing Called Love」まではほぼノーカットで放送されたが、次の「We Will Rock You」が少し放送されると、そのあとはラストの「We Are The Champions」含め、CMなどで放送されていない。
それでも想像してみてほしい。「We Will Rock You」までのパフォーマンスを何の情報もなくリアルタイムで観た衝撃を。
クイーンはこれまでもライブでの一体感というものを重視してきたんだろう。どのアーティストよりもオーディエンスとの一体感がすごかった。完全にワンマンライブの様相を呈していた。
最近になってボブ・ゲルドフは「オファーする気はなかった」という話を聞いて愕然とした。もしかしたらこのパフォーマンスがなかったかもしれないのだ。こわ。
文句なし、ダントツでNo.1のパフォーマンスでした。

https://youtu.be/ouqoMVeVsJ0

 


 

ビートルズの覚悟と成功が音楽産業を肥大化させ、さらにはアーティストの影響力を、社会に影響を及ぼすほど高めることにもなった。1985年に開催されたライブエイドには、1962年にデビューしたビートルズという源流が存在していた。

あの時、わずか十歳の子供だった十倉くんがビートルズを聴いていたことも、私が聴いてハマったことも、今思えばビートルズというバンドの影響力を証明している。彼らは世代や国境などのあらゆる境界線を無にするほど人の心をポジティブにして虜にしてしまう。

 

なんせ、歌詞の意味が分からない子供でもハマるのだから。

 

 

今回のネタ、実は去年の7月に書こうとしていたのですが、今年がちょうどライブエイド40周年ということで1年待つことにしました。

あーすっきりした。

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